伊織を家に上げるようになって俺の料理のレパートリーは格段に増えた。食の細いこの中学生に量より質をいかに食べさせるか研究するため、日夜講義の合間(ときには最中)に料理本やサイトとにらめっこだ。そんな俺を同じゼミ生は冷やかすが、伊織と一緒に作るので楽しいし、この幸せのためを思えばそんな声は虫の羽音以下の雑音だ。
今日も同じテーブルで、玄米を混ぜた飯をよそって席につき「いただきます」と声を合わせ、夕飯をとる。人にとっては当たり前のことかもしれないが、伊織とさくら、共働き仕事一筋の親を持つ俺、三人の家庭事情からすれば長年味わえなかった温かみで、この些細な幸福を大切に思える俺たち。
「それで、ぶんちゃんがね」
今日あった出来事を楽しそうに語る伊織を、見栄えなど含めて『良い』とはお世辞でしか言えないだろう、栄養バランスの偏りだけは少なくしようと努力していることだけはわかってもらいたい料理をつつきながら、面白くない心持ちで聞いていた。
『ぶんちゃん』とは同じクラスの同じ部活に所属する女の子だ。よく話に出てくることとニックネームで呼んでることから察するに仲がいいんだろう。聞いているなかでわかっているのは強気で真っ直ぐ、間違ったことは大っ嫌い。物言いがハッキリしていて男女生徒教師関わらず衝突が多い。総合してみるとさくらみたいな性格のようだ。
……昔グリーティングカードで『すきなおんなのひとは朔だよ!』と言うぐらいだ。さくらみたいな子に惹かれるのはわかりきったこと。これから青春を謳歌するわけで恋の二つや三つや四つぐらいあるだろう。俺もまぁあったし。女の子ならまだ許せる……許したくないけど……許すと仮定しよう。同性異性問わず可愛いと認める伊織だ、男に手ぇだされる可能性がないわけじゃない。もしそんなことがあったら「俺は伊織が十一のときから我慢してんだぞゴラァ!!」と相手に掴みかかるかもしれない。いやきっとする。伊織の父親のことを悪く言うつもりはないが、あの行動力を継いでもし誰かと蒸発なんてしようものなら、俺はどうなるか。数年間の片思いの結末は伊織の駆け落ちと俺の死、だったり……笑えない。やっぱり十八まで待つなんて悠長なこと考えてないで行動に移るべきか。さくらに半殺しにされようが既成事実を作り上げて……いやいやそれで伊織に拒まれたらどうしよう。いやいやいやそれ以上に、伊織は優しすぎるから関係を壊したくなくて無理して受け入れてくれたりするかもしれないほうが怖いな。あぁもうどうすればいいんだ。
煩悩渦巻いているなか、顔になにか感触が。……伊織が食べるのも喋るのも中断してテーブル越しに腕を伸ばし指で俺の眉間をぐにぐにと押していた。
「亮にいちゃん、むずかしい顔してる」
シワをのばそうとしているらしい。くそ、ポーカーフェイスは得意だがどうも気の知れた相手しかいないと崩れてしまう。つまるところ相手を信用してるんだけど、どうも気恥ずかしい。まぁ気恥ずかしいついでに訊いてみようか。
「なぁ、その『ぶんちゃん』のこと好きか?」
「うん。好き」
にこにこエンジェルスマイルに脳みそが揺さぶられた。想像では受け入れられる構えであったのに現実にしてみたら……食欲が一気に停滞するほどの落ち込みようとは。我ながら悲しくなるほどの心の狭さだ。
「さくらと亮にいちゃんの次の次ぐらいに好き!」
にこにこエンジェルスマイル第二弾。また脳みそが揺さぶられた。まさかさくらと同じポジションのステージにいるなんて想像すらしていなかったので……食欲が一気に回復するほどの気分上昇。我ながら悲しくなるほどの現金さだ。
本当にもう伊織は俺の心を掴んではなさない。そんなふうに天然で、純粋にいられたら、俺のどろどろした感情を自制しなくちゃいけねぇじゃん。
それが途方にもない作業で気が遠くなり、テーブルに額をごちんと打ちつけた。
「……伊織」
「ん? なに?」
「……早く
「?」
ちゃんと大人ぶって、待つからさ。
(そのとき俺の想いを訊いて)(お前自身の答えをくれ)