そう呟きながら部屋の片隅にいた生き物のにそっと近づいてみる。
「佐伯さん、名前教えてくれなかったよな」
この家の主、パイのプレイヤー・佐伯令子は今、台所でお菓子と飲み物の準備をしている。そんな彼女とのメールで話題になったのは一度きりだがこの猫のことは覚えていた。いつも一緒にいられるなんて羨ましいな、なんて鼻先でも小突いてやろうと手を伸ばしてみるも、さらりと簡単に受け流されてしまう。……佐伯さんが来るまでの数分の暇をこの可愛げがない猫の名前を当てようと考えることにした。
「シアン」
……黒っぽい毛色の猫を『ブルー』って呼ぶらしってのと、種類が『アビシニアン』だから。……このもじりはナンセンスすぎるか。
「たま」
……外国猫にこの日本的にメジャーな名前はないよなぁ。
「ミア、マハ」
……これもねぇよな、エンデュランスならまだしも。
「……」
名前なんて無数に考えつくし、その時のふとしたインスピレーションで決定したりするもんだ。難しいけど、もっと可能性がある名前、名前、……名前。
「……じゅん」
確か亡くなった義兄はそんな名前だったはず、なんて脳みその片隅でふと湧き上がって。いくらブラコン、もとい兄想いな佐伯さんでもそれはないか――なんて苦笑してみたら
「にゃあ」
今までなんの興味を示さなかった大きなアーモンド型の金と薄い緑の瞳が俺を捉えて、思わず絶句。
「………………」
「三崎君?」
「!!」
ひょいと顔を出した、タイミングの絶妙な佐伯さんに内心キョドる。冷静に返事をしようと試みて、波立つ胸を必死に落ち着かせる。
「は、はい」
「何か言った?」
「いいえ。なんでも」
「そう? ……あぁ、コーヒーと紅茶、どっちがいいかしら?」
「えぇと、コーヒーお願いします」
佐伯さんはコーヒー派だから同じもので、なんて無意識に思って声に出さず付け足してみたけど届くわけなく。わかった、と上品だけどめったに見せないその笑みを残して台所へ再び引っ込んだ。
それを確認して視線を猫に戻してみれば、俺には興味をもう失ったようで背を向けて丁寧に毛づくろいを開始していた。
「……じゅん」
確認の為、再度。
長いヒゲがピクリと動いて、応えるようにまた鳴いた。
「……佐伯さん」
少し大きめな声で、猫ではなく彼女の名前を呼ぶ。
「何?」
「この猫の名前、教えてくれなかったじゃないですか」
「えぇ」
「……もしかして、一番想い慕ってる
ガシャン――と陶器の重なりあった音がした。
……大きいけど、派手な音でないから割れてはいないと推測。
「さぁ。どうかしらね」
冷静な声色からもれる、明らかな動揺、だよなぁ……。
大人な彼女が可愛く感じる瞬間だけど、今は途方に暮れた。
「……まいったな」
俺の越えなきゃならない最強の壁は、
(どうやら彼女の亡き義兄らしい)