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幸せになりなよ、そして
執筆:2011/05/17
更新:2011/07/05



 昔からドラマで『そういう状態』になったときのテンプレートな光景はよく見ていた気がする。だいたいいつもこんな演出だよね、とただ他人事のように。
 水が勢いよく流れている音が聞こえている。自分は流し台に屈んだ姿でいるのに第三の視点という自分から離れた、それこそカメラで撮られているかのように自分が見えていた。胸がムカムカするけど、そっちじゃなくてお腹をさする。なにか反応があるわけじゃない。ただ漠然と、可能性を感じた。




「佐久間さんには今日こっちに泊まるって連絡しといたよ」

 ありがとう、と小さく呟く杏は正座して部屋の隅にいた。この部屋の主である瑠香はこの警戒しているように怯える小動物の緊張をどう解くかを頭の片隅で悩む。
 瑠香の契約する部屋は勤める会社の寮だ。しかし外見は普通のアパートなので出入りは存外自由。周りの同僚も恋人やらを泊まらせてたりしているので、騒がなければ誰も文句はつけてこないはずだ。
 訪問してきたにも関わらず二時間ほど口をつぐんだままの杏相手に、長期戦を覚悟して彼女の義父に連絡を入れて許可をもらった。
 付き合いの長い間柄なので、だんまりしてしまう杏の性格は昔から理解していた。前よりはその悪い癖は直りつつあったので、よほどなにかショックなことがあったに違いないとは前提に置きつつ、探りを入れることにした。明日ちょうどオフなので余裕もある。

「はい、ココア。ホットでよかった?」

 こくんと頷きマグカップを受け取って、猫舌であるから、ぬるいくらいにしてあるそれをちびちびと口をつけた。瑠香は自分用にも入れた甘くて熱いココアをテーブルにおいて、お気に入りのクッションの上に座る。

「どーしたん? 珍しいじゃん」
「……アポも入れなくてごめん」
「驚いたけどさ、気にしてないよ。……つーかそんなところで正座はシュールだからこっちおいで。噛みついたりしないから」

 あまり掃除が行き届いていないため、少し気が引けていたりするのでちょいちょいと手招きして呼び寄せれば、不安そうに目配せして、どうにかテーブル近くまで寄ってきた。

「さてさて夕飯どうしようかねー……あんまり食材ないから外で食べることになるけど、なんか要望ある?」
「……ピザ」
「ならデリバリーでいいかー。カタログどこだっけな……あ。杏が好きなチーズが伸びるピザの名前なんていうんだっけ? Wチーズもトッピングする?」
「瑠香」

 少し説破つまった杏の声。席を再び立ち上がりピザのチラシを探しながらようやくかとホッとしつつ「なーにー?」ととぼけた声で答えた。あまりこちらも堅くなると杏が緊張しすぎて言葉が出なくなる。できるだけ普通でいることを心がけた。

「――……たかも」
「ん? なに? ごめん聞こえなかった」
「妊娠」

 したかも、と最後まで耳には届かなかった。にんしん?、と漢字変換すらストップするほどの衝撃に、ようやく見つけたピザ屋のチラシが棚から、手から、滑り落ちた。

「に、ににに妊娠?!」と叫んで杏に詰め寄りたくなるのをどうにかこうにか堪えて、チラシを拾いテーブルに戻る。少し駆け足なのが唯一心情の現れだった。

「……で、できちゃったの?」
「……かも、しんない」
「……まぁ年齢的にはそれなりに普通だよね……」

 しかし問題がある。その父親はまだ学生なのだ。
 三崎亮と知り合って五年。彼が十七歳の頃に出会って友だちとして二年、付き合いだして今年で三年ほどだ。結婚を考えてもいいだろうが、相手は結婚こそできるが世の言う社会的自立していない立場。今まさに就活真っ最中の六つ年下の彼氏。

「……その様子だと、まだ言ってないみたいだね」
「今日……そうじゃないかって……思って」
「でウチに来た、と」

 二時間強ほど前に気がつき、この家に転がり込んできたという具合かと目星をつけた瑠香。
 さて、どうするべきか。今まで妊娠してきた友だちはそれなりに見てきたが、相手が相手なので慎重にことを進めなければいけない。

「生理はどれぐらい来てな……あ、杏は不順だからあんまり参考にならないか。検査薬とかで確かめたわけじゃないんだよね?」
「……」
「……でも、心当たりはあると」
「……前に、や、破けたことあって……」

 不良品に当たったということか、と頭を抱える。彼氏は杏を大切にしているし、自分の立場もきちんと自覚し弁えていた。若さという勢いでやってしまったという子ではないのは知っていた。
 さて、ではどうするか。まだ確定でないが、最善の選択と覚悟は決めておいたほうが無難。

「……私」
「うん」
「『あの人』みたいになりたくない」

 あの人。滅多にでない、某人物をさしているのはすぐわかった。この世にいるたった一人の、杏と血の繋がったあの人。

「ここにいる命を、亡くしたくない」
「……うん」
「…………でも、ね」

 もう心は決まっているのだとしたら、悩む必要はない。でも、まだ胸のつかえがとれないのだろう。杏は瞳をにじませた。滴をこぼさないように慎重に瞬きを繰り返す。

「不安なんだ。あの人みたいになりたくない。でも、産んで……もしかしたら、あの人みたいなことしちゃうかもしれない。最低なこと、酷いこと」


 瑠香、私はそれが怖いんだ。そう呟いて唇を噛みしめた杏。彼女の受けていた最低なこと、酷いこと。したことも受けたことも、どちらも罪であるかのように、あるいは罰かのように、それ以上の言葉にすることもはばかって押し黙る。

 確かに、そういう行為をされた子どもは、親になって自分の子にもそういう行為をしてしまう、という話しはよく聞く。テレビのワイドショーとか、ネットのニュースとか。煽るだけ煽って、不安の種を人の心に置き去りにして知らんぷり。その種を枯らす人もいれば、その種を自覚せず育ててしまう人だっている。杏のように、深く深く根付かせて花を咲かせてしまう人もいる。下手をすれば、またその種を実らせてしまう。杏自信が、その種そのものになってしまう。そんな循環を続けてしまう。

「杏は『あの人』みたいになりたくないんだよね」
「……うん」
「『あの人』みたいにならないで済む道はあるよ」
「…………ぇ?」
「今はほら、赤ちゃんポストとかあるでしょ。産んで、里親に出すの。それなら育てなくていい。『あの人』みたいにならないよ」
「……」

 元から血の気のない真っ白な杏が青ざめた。目のピントがブレてる。ごめんね、と瑠香は心の中で謝る。でも、こうでも言わないと杏は悩み続ける。杏の中に芽生えたそれを摘むのはこれしかない。

「杏は『あの人』みたいになりたくないだけ?」
「……」
「杏はお腹のなんかに赤ちゃんがいる……かもしれない。で、そう感じるだけ?」
「……わ、私……」

 杏の性格は知ってるよ、ちゃんとわかってる。ただ世の中には言葉にしてみないとわからないこと、どうにもならないこと、もしくは、どうにかなることがあるんだよ。そう言い聞かすかのように等感覚にゆっくり、そのノドに詰まる言葉を吐き出させるよう優しく、狼狽える杏の背中をぽんと軽く叩く。


「……それだけじゃ、ない」
「うん」
「……いろいろ、ぐちゃぐちゃに考えちゃって、実感、うまく持ててないけど」
「うん」
「……ベアが、私のお父さんになってくれたとき……新しい家族が、できたとき。嬉しいのと、悲しいのと、切ないのと……いろいろ混ざっちゃって……わけわかんなくて」
「うん、うん」
「……そのときと……同じ感覚がする、気がする。幸せが大きくて、逆に怖くなる」
「……そんなもんでしょ、みんな」
「……」
「もっと感じたままに、感情にしていいんだよ」
「……それ、とっても難しい」
「杏は頭いいからね。でも難しく考えすぎて馬鹿になってる」
「……」
「……杏に昔さ、尊敬する人は誰って聞いたことあったよね」
「……あったっけ?」
「そのとき、迷わず『母さん』て答えたこと、私覚えてるよ」
「……」
「尊敬できるお母さんを持った杏は、ちゃんとお母さんになれるよ。それに」
「……?」
「ちゃんと愛されて、愛した人がいるんだから、その子を愛せるよ」
「……亮君との、赤ちゃん」
「うん」
「……私のお腹に、いるんだよね」
「そこにいるよ」
「……ここに、いる」

 杏は静かに涙をこぼした。しとしとと暖かい滴をこぼして口元をほころばせた。

「……うれしい。大好きな人との、私の子ども」







 離れた場所に座る杏をそっと見た。いつもは若干猫背なのに今日はそれがピンとしていて、肩に力も入り、顔面蒼白……とまでいかなくても顔色が悪い。誰が見ても緊張していると即座にわかる。
 その顔というのは別れを切り出されるのではないかと、テーブル席の対面に座る彼氏が肝を冷やしているのではないかと心配になった。案の定、そんな彼の後ろ姿も目に見えて緊張しているのだから、当たりだろう。

 瑠香は通路を挟んで二席ほど離れた亮の背後のテーブルについている。あの後、杏と一緒に産婦人科に検診を受けたところ、妊娠三ヶ月だった。それを聞いた時こそ落ち着いていた杏だが、善は急げと彼氏に報告するためファミレスに呼びだした瑠香にひっつき「そばにいて」と泣き言。それを振り切るのも、同じテーブルにつくのもはばかれて、この位置あたりで妥協。飲み物一杯で居座っている。

 亮が到着して十数分経ってもまともに目すら合わせようとしない杏に視線を送り、視線が合うと『がんばれ!』とジェスチャー。それに勇気づけられて前を向くがすぐにそらして、とそれを何度か繰り返し覚悟を決めたのか少しかさついた唇がかすかに動いたのを見届ける。

 彼を無責任な男だとは微塵も思ってはいない、が。どんなリアクションをとるか未知数である。もしも最悪な事態が発生するならひっぱたくぐらいの心持ちでいないと、と思わなければやっていけないほど瑠香の神経も張りつめていた。誰かを悪者にするほうが人間は楽に生きられるものである。
「自分も最悪だな」と自嘲しつついるなかでガタッと勢いの良い音がして、音源のほうにとっさに目を向ける。
 そこには亮が完全にイスを転がして、それを気にすることなく立っていた。一瞬最悪の展開が予想し腰を上げたが、

「杏ッ、俺と結婚してください!!」

その体勢で時は止まった。

「俺ッ、こんな奴だけど、まだまだ世間知らずだしガキだけど、絶対、絶対っ幸せにす、る……か……ら……」

 惚けた顔の杏がみるみるうちに赤く染まっていって、亮も同じように首も耳も、産毛すら真っ赤になっているように瑠香には見えた。
 ファミレス内部は話し声はなくなり、厨房で洗われているであろう食器が重なりあう音すら消えた。有線で流されている最近人気上昇中の女性シンガーが、結婚式の定番ソングをカバーして歌っているのが、空気を読んでいるのかいないのか、それだけが静寂に満ちていた。まさにこの場面こそがどこかの結婚雑誌のCMの一コマのようだ。

「は、はい……!」

 ふるえた声で、ハッキリとした受け答え。
 杏はリンゴのように顔を赤らめて、しっかりと肯定した。頭より、理性より、感情で答えた。彼の気持ちに応えた。

 誰かが口笛を吹いた。はやし立てるように。次に拍手がちらほらとあがった。祝福するように。やがて笑い声を含みつつも大きくなるそれ。
 周りを見回して狼狽える亮が、杏の腕を掴んで軽く早足で逃げ出した。杏はされるがままついていく。店を出る直前、杏と瑠香は目があった。瑠香は苦笑をたずさえながらも「おめでとう」と声に出して祝う。声こそ届かなかっただろうが、気持ちは伝わったはずだ。


 彼らが姿を消してから一息ついて、ふたりがいた席に目を向ければ、杏の最低限の荷物の入ったバッグと、テーブルの端に置かれた伝票。それをどうにかしなければいけない自分の今後にため息をつきつつも、すぐに笑みがこぼれた。



()()
ハセ司(亮杏)で妊娠ネタやりたくて。悩みに悩む杏が書きたかったんです。
でもそれを書くにあたって亮杏じゃなくてもいいな、と気がついて急遽、後半付け足しました。最初だけなら司+ミミルでいいじゃんね。

内容ありえない?
亮と杏、祝ってくれる人少なそう(友だち少なそう)だから真っ赤な他人にその場限りでも祝福してもらえばいいだよ、そうだよ。という思いで書きました、反省はしてます、はい。

うちの司は昴よりミミルに相談ごとします。なぜだろう、と思ったらZEROで昴とは他愛もない話しかしないと書いてあったし、ふたりはただいればいい関係なんだよ同じ空を同じ距離から見て以下略な関係なんだよ昴と司は似てるんだそれに比べ司とミミルはいろいろ正反対だから意見が欲しいときとか頼っちゃうんだよ昴に言えないこと言って欲しいんだよ司の甘えなんだよミミルは司を守る人だからこそ傷もつけられるんだよとかなんだ考えがまとまらなくなっきやがった。まぁ付け加えるなら私は司には昴よりミミルと絡んでくださったほうは美味しいです。

私のなかでは杏と瑠香と真理子は1つ違い(SIGN時それぞれ十六、十七、十八歳)としてます。ミミルさんも人の世話焼いている年齢じゃないですn(秘奥義・重装甲破
Linkのころには司さんそろそろ三十路いっちゃいますよ……時の流れとは恐ろしい。まぁ誰も遙さんほどまでいく前に結婚するだろう……おや誰か来たようだ。

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