「ねぇ」
硬く重い扉に閉ざされた懲罰室にて、唯一大人共に支給された本を黙々と食入るように読んでいたが、すんなり顔を上げた主。ボクが仕える主人、サルバドール・トト。
「なんでそんなに危機感がないのさ? ボクに殺されるかもしれないんだよ?」
数百年間、ずっと閉じ込められた。その憎悪は今も燻り続けている。報復の一番の標的とされる少女はキョトンとボクの顔をその濁らない大きな瞳で見つめて……屈託のない晴れ晴れとした笑顔を咲かせる。
「そんなこと絶対にないわ。だってホーイチはやさしい子だもの」
……このザマ。
その根拠は、自信は何なんだ?……と頭が痛くなってくる。コイツは何を考えているんだろう。魔族の自分を『優しい子』と言うコイツは。……しかしただの変わり者。貧弱な子供でしかない。
「……まぁ、キミにはボクが殺せるはずもないし。何を考えていようと別に構わないんだけどね」
「あたりまえじゃないッ!!」
さっと軽口を叩いてみせれば、今まで柔和な雰囲気とは裏腹な、弾け飛ぶような物凄い剣幕で応じる。
「子どもをころす親はいないの! だってそんなの親でなければ人でもないもの!!」
叱咤するように叫ぶと、呆気にとられたボクと同じ背丈のママは、力いっぱい抱きしめてきた。――……柔らかな髪の甘い匂いと優しい体温を、今でも憶えてる。
***
歳月という時間は幾度も流れて。
今キミは部厚い本と対面しているのでなく、薄っぺらい便箋を見据えている。
無表情で凍てつく視線のキミ。でもボクには分かる。そこには悲しみがにじみ出ていると。
此処は彼女の自室。今は彼女しかいないのだから文句はないだろう……と突如、影から跳びだす。一瞬だけ驚きを表すがすぐに穏やかな笑みをたずさえる。あの頃とはまた違う微笑。
「貴方から出てくるなんて。珍しい日もあるものね?」
そう言って手紙を自然な手つきで、装飾が気品よく煌めく小箱へ。……手紙が開封されたことは今までない。ただいつも通りその見かけだけ美しい小箱の中へ消えた。
「まぁ、そんな時もあるもんさ」
『キミが寂しさに囚われそうだったから。独りにしてはいけないと思って』
なんて言えるわけもなく、ただそう軽く返すだけにした。
……二ヶ月に一回、定期的に送られてくる彼女の親共からの手紙。けして来れはしない距離でないのに理由をつけて会おうとしない、汚い親共の策。それを見るたびに殺意が芽生える。アイツらには分からないのだろうか。
その手紙が、彼女を徐々に殺しめていく毒だということを。
アイツらを殺してしまいたい。喰うだなんて穢らわしい。この世から滅してやりたい。少しずつ、恐怖を味あわせて。己の朽果てていく姿を理解しながら死んでいくのだ――激痛にさいなまれながら自らが絶命していく姿をゆっくりと。そうしたら、ボクの気は済むのか?
……きっと『いいザマだ』と満足して嗤うだろう。
でも、彼女は泣く。
どんなに軽蔑していても、どれほど憎しみを抱いていても、子どものように……泣くだろう。
昔のように、『サルバドールの落ちこぼれ』を必死に背負っていた――……そして今もどこかそれを抱き、陰りさす彼女。
……そこでふと、色褪せることなく存在し続ける記憶が甦る。昔、彼女が言った言葉……どこであんな言葉憶えてきたんだか……――あの頃、書物からしか情報を得られない環境だったのだから、それからなんだろうけど――。
呆れてものが言えなかったボク。それにしがみつくように抱き寄せてくる彼女。
もう何年前の話だろう。他愛もない刹那の流れの回顧な気もするれば、悠久に過ぎし日の追憶でもある。……封じられていた時には思いもしない感覚だ。
『子をころす親はいないの! だってそんなの親でなければ人でもないもの!!』
「――……じゃあ、アイツらは『人』じゃないんだ」
小さく魔族の言葉で呟く。『天国の耳』と呼ばれる彼女でさえ聞き取れない囁き。親でもなく人でもなく、それは魔族でもない。
なのに何で悲しむんだよ。……ねぇ、ママ。
「……ボクがいればいいって言ったじゃないか」
責めるような文句も当の本人には届くことはなく、優雅な手つきでお茶と注いでいる。……――甘い匂いが部屋中に漂う。また引き出される記憶。あの時、抱きしめられた時に満たされた香りと酷く重なり……多少、憂鬱に感じながらも……心地よかった。
――ボクだけがいればいい、なんてそんなの無理だと知っているさ。ボクとキミは違いすぎる。
ボクは魔族。キミは人間。
ボクは伝説の人喰い。キミは一族の脱落者。
使い魔は主人が在ればいい。魔力と生命力があれば生きていける。
人は傲慢なのだ。強欲なのだ。
一人よりふたり。二人よりたくさん。人は『人』を欲する。
しかしそれでいいのだ。キミとボクが対等である必要なんてない。平等なんてありえない。
だけど、だけど今は。
まだキミを独り占めにしていたい。
ボクだけのキミと、キミだけのボクでありたい。
それを望むボク<最悪の魔族>。
……無様だねぇ。
昔の『アベルダイン』だったボクがおぞましい声色で吐く。
戯けと嘲笑う。馬鹿だと見下す。愚かだと侮蔑する。
「どうかした?」
しかしそんな虚像は消散され、現前には莞爾として笑うキミがひとり。
――……それを幾度となく見てきて……幾度となく思う。
『それでも構わない』と。
『キミが笑むのだからそれでいい』と。
まったく。『最悪の魔族』が聞いて呆れる。
――心の隅で自虐的に笑ってみた。
「……何かあるように見える?」
肩をすくめ、おどけて見せた。
まだこの温もりに誘われるまま、まどろみ眠っていたい。
いつか目覚めて、
(哀しみに満ちた悪夢に一転しようとも)