「荷物持ちぐらいしかやれること、ねぇけどな」
「充分だよ。急に友だちも呼んじゃったし……」
「それはお前んちなんだから、好きにすればいいじゃん。気、使うな」
「……ありがとう」
ま、ちょっとはふたりだけでいたいな、とかは思うわけだが。仕方がない。
スナック菓子やら肴が入った袋片手に、最後の店へと歩いている。
たどり着いたのは、小さな花屋だった。
「最後の買い物が、花?」
「うん、いつものここで買ってる」
「珍しい花なのか」
「黒い薔薇」
薔薇? それならどこにでもありそうだが……いや、黒はあまり見かけないか。あっても赤とか白とかピンク。本当に常連らしく、店員は挨拶もそこそこになかに引っ込み、一輪、ほとんど蕾の状態の薔薇を持ってきた。まだ咲き始めなので出していないものだそうだ。
それを買って店を出る。「一本だけでいいのか」と聞いてみたら「いつもそうだから」と笑っていた。いつも。その『友だち』に、やってるのか。少し……いや、とてもおもしろくない。
虫の居所が悪いまま、部屋入り口までくる。鍵を開けようとして、戒仁の手が止まった。
「……どうかしたか」
「もう来てるみたい。鍵開いてる」
驚いた。スペアキーを隠してある場所を教えてるそうだ。そこまで仲の良い友人がいるなんて……正直、俺には考えられない。
「……そうだ、ハセヲ」
戒仁は俺を『ハセヲ』と呼ぶ。さらに虫は騒ぎ立てる。俺は三崎亮だよ、戒仁。そう思うけど言いだせない。そんなことにこだわる自分の子どもっぼさが、寛大な戒仁と間逆すぎて恥ずかしいのだ。
だから澄ました顔して「なに」と答えた。顔には露骨にも些細にもださいように、慎重に。
「ぼくがあの世界にいること、誰にも言わないでほしいんだ」
あの世界。そう言われるだけでわかる――ザ・ワールドのこと。
「ぼくの友だちには特に。聞かれても、知らないって言って」
「……なんで?」
「……」
戒仁は答えず少しだけ困ったように、笑う。カイトがあの世界でもこういう表情をする。そうされると俺はそんな顔見たくなくて「わかったよ」と約束を結んでしまう。そしてこいつは「ごめん」と一言。予定調和みたいなもんだ。いつか話してくれるまで俺は待つしかない。ずるいよな、そういうの。
ドアを開けると「おかえりー」とふたつの声が中から聞こえた。戒仁は律儀に「ただいま」と返す。
「台所、借りてるわよ」
キッチンに立っていたのはひとりの女性だった。健康的に焼けた肌。たくし上げられた袖がら伸びる腕は女の人にしては締まっていて、すぐになにかスポーツをやってるのだとわかった。自前のエプロンを着て鍋前でなにか煮ている。
「大会、優勝おめでとう」
「ま、アタシの実力出し切れば軽く狙えたわよ」
「強気発言だね。晶良らしいや」
ふたりはそこで笑うと、リビングからもうひとり現れた。こっちは対照的に線が細くて真っ白な、戒仁と同い年ぐらいの青年。 女性とは正反対だが、ふたりの顔はよく似ていた。
「お先くつろがせてもらってまーす」
「いつもどおりどうぞ」
「お言葉に甘えて……君が高校生のお客さん?」
俺に視線が向けられて、おどおどしながらも挨拶をする。白い青年が和文、女の人は晶良と名乗った。やはりとは思うが、兄妹だった。
「あんたはホーント、人脈広いわね……おとなしい顔して油断できないわ」
「晶良だってそうだろ。大会でいろんな人と会ってるし」
「ほとんどライバルだから、そんな仲良くない」
「くってかかる姿勢が悪いんじゃない? いつもなにかケンカ腰だろ」
「なんか言ったぁっ?」
「あ、鍋焦げてるよ」
え、嘘?! と鍋の具合を確かめる晶良さんから笑いながら、逃げるように俺の背を押してリビングへ。「こらっ戒仁!!」と怒り声にも冗談がにじんでいて、仲がいいことがそれだけでよくわかった。
席についてもさまざまな感情が複雑すぎるほど入り混じって、俺はそわそわと落ち着けなくなる。戒仁の友だちだから悪い印象持たれないように取り繕ろうと必死で、戒仁が女の人と仲良くして苛立つ感情をそのまま流してしまおうと努めた。
でも結局はどちらもせめぎ合いながら、飲み会ははじまっていく。
最初は昨日の大会の話からはじまり、それに関する審判や相手側のコーチの贔屓な発言などに対する愚痴やら、今の身辺情報の報告。姉弟の酔いが回ってくると、今の政治の批判まで出てきた。だいぶ夜も更けてきた頃、俺たちふたりはお茶なので酔いはしないが雰囲気と匂いにやられたのか、戒仁はいつもより少し饒舌な気がした。
昔からの付き合いのらしいから、積もる話もあるからだろうけども。俺は邪魔にならない程度に会話に交じった。
「昔はあんなに小さかったくせに、戒仁はこんなデカくなるし」
「またそれ? 耳だこだよ」
「何度だって言ってやるわよ! 初めて会ったときはアタシより低かったのに、会うたびに伸びてるとか、詐欺」
「ちょうど成長期で伸びる頃だったんだから」
「それがムカつくいの。戒仁のくせに」
「わかった、わかったよ。戒仁のくせに伸びてごめんねー」
「うわっムカつく!」
「それよりさ、晶良は料理、うまくなったね。この肉じゃが美味しいよ。昔はガンになるかと心配したもんだけど」
「……かーいーとぉぉぉ」
「あはは、ごめんごめん」
「あ、こら逃げんな!」
「トイレだよ」
そのまま席を立った戒仁の背中を見ていた。やっぱ言ってた通り、あのPCと一緒で昔は小さいかったんだ。今じゃ考えられないが、その頃の戒仁を見てみたかった気がする。
まぁそんな時に俺は小学生で、ネトゲからは無縁の生活していたんだから、会えるわけもない。昔のことはもうあんまり覚えていないけど。
戒仁の背を見送りつつ、視界のなかに横から顔を覗いてきた晶良さんの顔がドアップで映って、反射的に身を引いて驚いてしまった。
「亮くんてこーこーせーだよねぇ」
「は、はい」
「いーなー、若いなー。青春だなぁぁあ」
「姉ちゃん、年寄りくさい」と和文さんが笑うと「うっさいなー、アタシはもう年寄りですよーっだ」と口を尖らせながらうそぶく。まだ聞いたところによると二十三歳らしいし、そこまで差はない。しかし昔を思うと懐かしいから、そんなセリフが出てくるんだろう。俺だって小学生の低学年あたりを見かけるとあんなに小さかったのか、と記憶の底に浸るときだってある。
「戒仁とつきあってどれぐらい?」
「……今年から、で」
「そうなんだー、私も高一のときに戒仁と初めて会ったっけー。懐かしーな。どこで知り会ったの?」
「……え、と、戒仁の通ってる学校で、俺がオープンキャンパスに行って」
「む。もう志望校考えてんだ。えらーい!」
酒が良い感じに回っているのか、かなりフランクだ。しかしいろいろドキっとさせられる。
つきあってとか言われると、俺たちの関係知られてるような気分だし、約束があるからザ・ワールドのこと伏せてみれば、出会ったのは実質三日前だ。嘘はいってないがドキドキする。
「泊まりよく来るの?」
「いや、今日が初めてで」
「そっか、そっか。あいつ、友だちはすぐお泊まりOKしちゃうから存分に甘えなっ……あ、お酒ない。カズ、チューハーイとって」
「……そんな飲んで大丈夫ですか?」
「いけるいける。ザルだから。今日の大会まで減量がんばったし、優勝のご褒美だもん。飲むぞーっ!」
ゴクゴクと喉を鳴らして美味しそうに一気飲みする晶良さん。「そういえばさ」と何事もないような口調で「亮くん、知らない?」と先ほどと同じように軽い口調で問いかけてくる。
「何をですか」
「戒仁がネトゲしてるとか」
心臓が静かに大きく脈打った。和文さんも手にしていた酒を一瞬だけ口付けるのをやめ、息を詰めたような雰囲気を漂わせた。
俺は自然な間をあけて、そんな言葉すら知らないというかのように「ネトゲ? ネットゲームのことですか」と動揺を反映させないような声色で答える。
「そうそう、MMORPGとかある、有名なのだと……ザ・ワールドとか」
その核心までついてきて、正直冷や汗が流れるような気分だが、表情には出さないように努めた。演技は得意だし、相手は酔っ払ってるからバレる心配は限りなく少ない。そう自分に言い聞かせる。
「さぁ……俺は、知らないです」
できるだけわざとらしくないように、心がけて嘘を吐く。そうすれば晶良さんは安堵したように、不安なように、顔をくしゃりと歪めた。
「そっか。そうだよね。……相棒に黙って無茶なんて、してないよね」
そっと発された言葉。『相棒』。
買い物に出る前に誰が来るんだ、と聞いたときちょっと照れたふうに「昔からの相棒」と戒仁は言うだけで、詳しくは説明してくれなかった。
なので黙ってしまった晶良さんに「あの戒仁も言ってたけど、相棒って?」と尋ねてみるとパッと表情を明るくた。
「うーん、言葉だと説明難しいなぁ。ちょっと待ってね」
たしか、とぼやきながら勉強部屋のほうに消えたと思えばすぐ戻ってくる。これこれと言いたげに開いたのはアルバムだった。そこに整理された、写真。メモも貼り付けられていて、そこに書かれた『初めてのオフ会。集合写真』と丁寧に場所なども書かれていた。パッと見で、二十人弱はいる。目に見えて外国圏の人物もいれば、歳のいった初老の男性も、逆に小学生ほど背丈の男の子も、見るからに気品あふれる少女など、なんの集まりか考察できないほどの年齢層だった。そのなかで戒仁は中央にいた。皆に囲まれるようにして今よりだいぶ幼い、どこにでもいるような少年であった頃の彼がそこに映っている。
「この頃からのつきあい」
自慢げな表情だ。日付を確認するとほぼ六年前。この頃から交流は続いているというのか。
「ネットゲームで知り合ってね。ふたりってけっこう有名なコンビだったんだよ」
和文さんが付け加えるように言った。だから、相棒……か。
「戒仁ってそういう友だち、多いんですか?」
「そういう? ネトゲでってこと? いや、この仲間内でしかオフ会は参加したことないと思うよ。ネトゲはこの頃初めてやったらしいし。戒仁、顔に似合わずアウトドア派だから、遊びはいつも外だったって。今に少ない子どもだよね」
そう言いつつ「俺なんて完全にインドアだったからなぁ」と苦笑する和文さん。
今のご時世、HDなどに保存しておくことが主流だというのにこうやって写真を現像しているところを見ていれば、戒仁とどこかアナログ色の強い人間なようだとは薄々わかってきていた。
「でもあいつはホント、人と仲良くなるの上手いから。同時期に初心者同士でスタートしたのに、メンバーアドレスの量が歴然の差になるし。まぁ、そのおかげでアタシも知り合いの知り合い効果で増えたけど」
「タウンでトレード持ちかければ破格の内容でもOK出したり、BBSで困ってる人の書き込み見たらそのエリアに行ったりしてフォローしてたりしたからね。人柄が惹きつけてたよ。イベント参加で名前は売れるし、すごいよね! 時の神殿とかプチグソレースなんか……」
「……あ、ごめん、ネットゲームのこと言ってもわからないよね」と俺に気を使って和文さんが謝る。俺は曖昧に笑っておいた。今のカイトとは別人だ。あの仕様外PCはタウン以外からログインできるし、カオスゲートを経由しなくても移動が自由。いろいろと不可思議な能力の数々。ゲームを逸脱したキャラクター。
それを隠すかのように、カイトはタウンに絶対に近づかない。俺以外のプレーヤーとの交流も見られない。
カイトは遊びにきてるわけじゃない。調査してるという。
このPCを与えたという、その人の真意を。
よくは教えてもらってないけど。最初の頃、カイトはそう言っていた。
「なに、彼に吹きこんでるのさ」
戒仁が戻ってきた。そして出されたアルバムを視界にとらえると「懐かしいね」と笑う。スペアの鍵の隠し場所も知っていて、アルバムを勝手に引っ張り出しても信用されている、ふたり。六年も前から相棒と親しんでいる、女性。
「ねぇー、戒仁」
「なに?」
「あんた本当になんも隠してないのよね」
詰問するような厳しい声だった。戒仁はすっと晶良さんの顔を見た。彼女も戒仁を見つめ返す。
「当たり前だよ」
なにか困ったら、ちゃんと相談してるだろ?――そうシルクのような、見るからに柔らかい笑みをこぼす戒仁。晶良さんは一瞬、眉をひそめて……でも、すぐに笑って息を吐いた。
「そうね。あんたがそういうなら、信じる」
その言葉ひとつで信じ合える関係。その空気はひどく俺には心地悪い。
「あ、そういえば渡しそこねてた」
そこで思い出したように置きっぱなしにしていた、あの黒い薔薇を手渡した。いつも渡すという黒い、黒い、花。
「改めて、優勝おめでとう」
「……あんたも馬鹿の一つ覚えみたいにずっとこれで芸がないわね。……まぁ、花に罪はないから、もらってあげる」
そんな晶良さんまるでその薔薇みたいな人だと思った。口では辛辣な棘のある言葉を吐くが、ふわっとした花弁のようにとても幸せそうな笑顔で着飾る。ふたりの間に確かにある見えない絆が、悔しく思う。そして悲しい。小さな泡がいくつもいくつも弾けるように、嫉妬心が胸に広がる。そんな気持ちは嫌いなのに。
「あんたも恋ぐらいしなさいよ。そうすればもっと気がきくようになるんだから」
「そ、そうかな」
「……なにその、でれっとした笑い」
「えっ、もしかして本当に戒仁に春が来たの?!」
そんな俺の感情を知らない三人。和文さんが食いつくと「ねぇ、亮くんは知ってる?」と話を振ってきて。思わず、そう、思わず。
「知ってる」
そう答えてしまった。
「よく、知ってる」
俺だもん、と言葉の奥底に秘めて、強く断言した。
人に言い聞かせるのではなくて、どちらかと言えば自分に言い聞かせるように。
お前は戒仁の特別だよ、と自分自身で慰めた。
「「ええええッだだ誰ッ!?」」
「うぇッ?!」
そんなことを言ってしまえば最後、掴みかかるがごとく姉弟の勢いに面食らって現実に引き戻される。なんてこと口走ったか、血の気が引いて思わず視線を泳がせた。
「いや、あの……え、と」
「ど、どんな子?! 歳は?! 見た目は?! 身長は?! 性格は?!」
「戒仁の好きな子とか知り合って数年、噂にすら聞いたことがなかったんだけど!!」
話題の食いつきの良さから、まったく音沙汰ない話しだったらしく、俺はとっさに戒仁に目を向けた。ちょっと困ったような、ふたりを呆れているかのような、微笑。初めての相手が自分であることが、なんだか嬉しくて。しかし顔に出すのはなんだか照れくさい。だから「戒仁のことだから、俺からはちょっと」と言い淀めば、ふたりはあっさり標的を変えた。晶良さんなんて完全に胸倉掴んでいる。同じタイミングでふたりして動き出すから、本当に仲のいい姉弟だなと、蚊帳の外に置かれてふと思った。
「あんたやっぱりなんか隠してたんじゃないッ!!」
「いや、隠してたわけじゃなくて、さ」
「問答無用! 今日は全部吐くまで帰らないからねぇッ!!」
「えー……」
「まぁまぁ、ここは落ち着いて……ね!」とお茶の入ったコップをさっと差し出す和文さん。いつのまにそんな用意してた、と目を見張るほどの早業だったが晶良さんはグビっとあおって一飲み。戒仁も受け取り口を付ける、と――「あぐっ」と小さな奇声をあげてお茶を吹き出しそうになった。その姿を見て、黒い含み笑いをしだす和文さんと晶良さん。まさに姉弟だな、と正反対なふたりを眺めながらなんとなく感じた。
「な、なに、入れ……」
「緑茶割のチューハイ。さぁさぁアルコールの力を借りて洗いざらいなんでも吐いてもらおうか、戒仁!」
「カズ、ナイス……! さすが我が弟……! ほらほら早くゲロッちゃったほうが楽よ〜?」
「あの、そんな、言いつけることでもないし……」
そそくさと逃げだすように俺の横に座り「お茶ちょうだい」と断りを入れただけで許可を待たず、俺の手に持っていたウーロン茶を一口飲む。
「せめて出会いとか、聞かせてよ!」
「……えー、うー……」
「もったいぶらず早くしゃべんなさい!」
姉弟に催促されつつ、俺の影に隠れるように背を丸くさせる戒仁。どこか子どもじみた姿に可愛さを感じつつ、そんなに早くアルコールが回ると思えないが、少し頬に赤みが差していてドキッとする。
「出会いは……今年の初頭、かな。その子が絡まれてるのを、ぼくが偶然助けたのがきっかけで……それからよく会うようになって……」
「え、もうつきあってるの?」
「……う、ん」
春が来た、というのは好きな人ができたとふたりは思っていたのか、互いに顔を見合わせた。和文さんはちょっと責めるような目で戒仁を見据えた。
「俺たちに相談もしてくれなかったね」
「ごめん、だって……その、気づいたら好きになって……気づいたらつきあってて」
「ふーん……で、どんな子?」
「……ちょっと意地っ張りだけど、優しい子。ぼくのこと気に揉んでくれてて、一緒にいてくれる……」
「別に気に揉んでるだけで一緒にいるわけじゃねぇよ」と俺はとっさに答えてしまって、三人の視線が突き刺さった。あわてて「好きだから、傍にいるんだろ、あ、あいつは!」と付け足す。
「そうだと……嬉しいなぁ」
ポカンとしていたふたりを置いて、酒の回りだした戒仁はとろんとした目で愛しみを隠す気がないかのうように、優しい声と幸せそうな微笑ではにかむ。さっきからそういう顔にドギマギされっぱなしで「調子のんな」と仕返しに鼻をつまんでやった。それでも緩く笑ってる戒仁に呆れながらも苦笑してしまう。
「あー、もう。やんなっちゃう。ノロケちゃって、ラブラブじゃない」
晶良さんがスッと立ち上がる。そして缶ビールをあおって空けると机に乱雑に置いて、自分のカバンを手に取った。
「あんたはアタシと一緒でずーっとひとり身だと思ってたのに。裏切り者」
ちょっと茶化すような声色は、どこかしこりを残すような違和感をはらんでいて。俺はその気はなかったが晶良さんの表情を窺ってしまう。
「晶良こそ、いいひといないの?」
戒仁はまったくわからないのか、笑顔で問う。和文さんはどこか酔いが醒めたように拗ねた顔をして、晶良さんは清々しいほど、笑顔で表情を満たしていた。
ばか。
声には出さず、グロスの塗られた唇は呟いた――気がする。
その一瞬、まるで戒仁にも姉御とでも言えるように接していた彼女の雰囲気がガラリと変わった。そこで、そういうのに疎い俺もようやく気がついた。俺の過ぎた嫉妬じゃなくて、晶良さんは本当に、異性として戒仁に好意を向けてると。
「んじゃ、もう帰りますか。お邪魔さまー」と玄関のほうへ行ってしまう晶良さん。和文さんが「片づけせずにごめん」と謝りつつその後を追う。
ふたりはまさに風のように現れて、同じく去って行ってしまった。
その姿を俺も玄関先まで送ったあと、戒仁を観察した。いつものように優しい笑顔は、どこか残酷だった。なにも知らないこの無垢な笑みを、あの人は何年見続け、想ってきたのだろうか。
でもそれでよかったと思う。普通の女性相手じゃ、戒仁と俺に振り向いてくれることなんてかなっただろうから。もしあの人が、戒仁と早くに結ばれてたら……なんて、くだらない幼い感情が顔を出す。
俺は、幼稚で、愚かで、最低だ。
そんな俺を知っても戒仁は『嬉しい』と言ったあの笑顔で、はにかんでくれるだろうか。
わからないし、確認もできそうにないけど。
確信を持って言えることは。戒仁を俺は、手放せそうにないということだ。
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確信を持って言えることは。
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