暗闇だった。ぼくは無限に広がるその黒をただ見つめ、漂っている。そこに突如現れたはちきれんばかりの眩い光源も、ただぼんやりと認識した程度だった。闇を白く塗り替えて広がり、像が作られていくなかでやっとぼくという人間の意思が目覚める。
アウラ、
声は発せられなかった。美しい光を帯び、昔そのままの姿を保つ女神に問いたいことは山ほどあるのに声が、でない。
ねぇ、アウラ。キミを探してたんだよ。
なぜぼくをこの世界に呼んだの?
ぼくはなにをすればいい?
キミは、何を望んでるんだ?
教えてよ、アウラ。
“ ――…… ”
なにか、囁いた。アウラは何度も繰り返しその薄く色づいた唇でなにかを紡ぐ。その神託を理解しようと耳をそばだて全意識を集中させる。
“ …………あなたの―― ”
“ ……は、あなたの傍……―― ”
何度もうわ言のように繰り返している聞き取りずらい言葉。なぜあの響く少女の声色が霞んで聞こえるか、それは女神の声にかぶさるように別の音があるからだ、とそのとき意識しだした。知っているモノだという内なる予感はあるのに、この空間にある光の中にさえ残る濃い闇が霧のようにしとしと絡みつき意識を遮って脳から記憶が引き出しづらい。
本能はわかっていて拒絶しているのだ、と誰かが囁いた。アウラの声ではない。ぼく自身が、囁いたのだった。
ハ長音ラ音。イレギュラーな存在があるという知らせ――それが警告のように鳴り響いていた。思わず耳を塞ぎたくなったが、それではいけない。アウラの言葉を聞かなければ。アウラは、ゆっくりした動作で腕を差し出した。ぼくは真意を知ろうとそれを見つめる。彼女がぼくを指さしている、……いや、ぼくではなくぼくを通して――背後を示している、ということにいきつく。
振り返った。そこには光に照らされることのない闇が蠢いていた。それを見ても何も感じはしない。そこに、色がつく。黒でもなく白でもなく。
小さな、紅。
そこで初めて、嫌悪感に全身が強張り逆立った。口の中を吐き気と渇きが支配する。息ができない。
三眼の悪魔。
そんな言葉が脳みそを殴打する。闇がぼくに伸びてくるのに指一本動けない有り様。その暗闇が接触する。だが感じない……否、むしろ穏やかな感情がぼくの胸を撫でて冷静になせてくれている気がした。
警鐘は収まることがなかったが、まったく混じり気のないクリアな少女の声をハッキリと、聞いた。
“ スケィスは、あなたの傍に”
――スケィス、そうこれはスケィスだ。ぼくは反射で腕を掲げる。言うことを聞かない身体を力ずくで従わせる。倒さなければいけない。スケィス。死神。六年前の悪夢。
蠢く黒のなかの三つの紅が、静かに煌めいた。
「カイト……?」
目の前が真っ白になる。それは光でなく、白い闇だ。紅い三眼がぶれて、浮き出たのは紅い紋章の入ったキレイな顔立ちと同じく紅い瞳、キラキラと光を反射する白銀の髪を持つ彼がいた。背景も視界のすみに交わる。よくある草原エリアだ。木陰で薄い影が不思議な風に揺れてざわめく。
夢だと、漠然と理解した。果たして先ほどのモノが夢なのか、今この瞬間が夢なのかはすぐにはわからなかったけど。
右手を彼に向けていた。それが、何を物語るのか。ぼくは知る。
戸惑う表情を見せる彼の指が、ぼくの手に絡む。
落ち着かせるようにという気づかいだとわかるのに、その体温を感じた瞬間にぼくの身体はびくりと怯えるようにはねた。それを見て悲しそうに、寂しそうに、心配そうに、つらそうに、彼が顔を歪める。
「……どう、した」
「……」
「……悪い夢でも……見たのか?」
「夢、じゃない」
「え?」
怖ろしい現実を目の当たりにしてしまった――なんて言っても、彼は困惑するだけだろうとその言葉をつかえながら無理やり飲み込んだ。
「ハセヲ」
かわりに彼の名を声にする。彼という存在を確かめるために。
「あいしているよ」
愛を呟く。それは確かな真実で、口に出した瞬間
涙が、こぼれた。
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