「クビア」
まだ少し息を整えつつカイトがクビアの瞳を覗く。そこに『
そんな彼をカイトは包むように抱きよせた。
「大丈夫だよ」
大丈夫なわけない、でもカイトの落ち着いた声色に諭されると本当にそんな気になってくるのだから不思議だと感じるクビア。身体の力を抜いて、されるがままになってみれば楽になれる気さえしするのだ。
――耳に、転送リングが展開される音が強く残るまではそう錯覚できた。
「え?」
「!?」
カイトが間の抜けた声を上げるに反して、クビアは怯えたように、勢いよく顔を上げ周囲を見回した。
先ほどからカオスゲートにふたりをデバガメしてる少なからず存在していた。それ以外にも気がつきつつも見て見ぬふりをする者たちが多くいたが、誰かまわず、小さな疑惑と驚きの声を上げている。次々と転送リングに包まれて姿を消していく、タウンにたむろしていたPCたち。カオスゲート以外でこの街から出ることはできない。それはまるで集団で『強制終了』していくような、異様な光景だった。
「どう、なって……?」
「……くそっ!」
クビアだけがこの場を理解していた。タウンならヘタに行動されないだろうと読んだのに、相手側も一般PCを外へ追いやるなんて後のクレームへ直轄することをやってのける。それだけ必死ということだ。
女神を人為的創り出し、支配を企む輩。女神の数少ない情報である『腕輪』を収集し、あわよくば歪みにより発生する『反存在』、つまりクビアを捕獲・研究しその歪みすら意のままに操ろうと目論む。女神と同等のモノを創り出せたとしてそのときに発生する歪みは今のクビアとは違う存在であるから、それは徒労だ。同じ名、同じ性質の『クビア』であっても女神の反存在として生じる『クビア』。腕輪以上の歪みが世界に与えるダメージは計り知れない。世界が保てるのかさえ、わからない。
クビアの力でカオスゲートを使わず不正規な転送は開始しようとするが、耳を塞ぎたくなるほど大きく空間を裂くようなノイズの混じったエフェクトが走るのみで失敗に終わる。クビアはカイトの腕から逃れて、彼を守るように立ち回り、カイトも警戒心を露わにして辺りを伺う。気がつけばこの人のあふれるタウンに人影はふたつのみとなっていた。
「どういうこと?」
「カイトよく聞いて」
そう自分で呟いて、押し黙る。CC社の企み。プロジェクト・G.U.という組織。これから起こりうること。女神が眠りについた意味。
クビアの知ることはすべてを語るべきなのか。それは正しい選択なのか。彼は迷っている――いや、本当は答えなんて決まっていたのだ。ただ迷いたかっただけだ。道はもとより一本しかない。辺りは壁に囲まれ、迷路の要理入り組んでいるだけで、進むべきは決められたルート、たどり着くは決められたらゴール。
そう思えば、クビアの肩から力がふっと抜けた。
馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい。
大馬鹿だ、僕は。
「……どうでもいい」
「え?」
「僕は僕のすべきことをやるだけ」
「すべき、こと?」
「女神の残した後始末」
カイトといえど、彼が何を言おうとしているかまだ掴めないでいる。首を傾げ、クビアの言葉を待つ。重々しく囁いた。
「……腕輪の、回収」
覚悟したくせに、いまさら後込みしてしまう。ぼそりと息が抜けるだけにしか聞こえないような、か細い声だった。
「どういうこと?」
「……そのままの意味だよ。ソフトをアンインストールする」
「……だって、腕輪は……『薄明の書』は……」
自らからその言葉を口に出して、初めて意味を理解したカイトの表情は、みるみるうちに青ざめていく。
これもおかしいのだ。本来、これはカイトにとって、これはゲーム。表情、触覚、……これらが僕のような存在でないカイトが感じるのは。ならば何故か。腕輪――腕輪がカイトに侵蝕しているのだとしたら。
残党のバグを消すために作られたように思われた『腕輪』にもしモルガナの悪意――いや、もしかしたらもっと違う意志があったとしたら。もしヤツらが『腕輪』を回収したら、カイトはどうなるか、考えただけでも恐ろしい。
女神は眠りについてしまって、もう問うこともできない。女神自体は、腕輪をどうにかすることができただろう。しかしそれはできたとしても、しなかった。腕輪を失えば、カイトは傷つく。クビアが消えるのだから。
だからどうすることもできず、腕輪もクビアも遺された。結果的にもうどうにかできるのは、残念ながらクビアしかいない。
カイトを傷つける結果を回避することは、女神にも反存在できなかったのだが。
「そう、アンインストールできない。だから正確には……『デバック』」
遺された、クビアしかできないこと。
「腕輪を――破壊する」
(『デバック』削除、消去)(クビアのその言葉。それは、自殺と同じ意味を持つ)
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